かんなの観劇記録

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TVアニメ「呪術廻戦」第2期 第25~29話「懐玉・玉折」

作品記録

TVアニメ「呪術廻戦」第2期 第25~29話「懐玉・玉折」
2023年7月6日(木)~8月3日(木)放送

中村悠一 櫻井孝宏
遠藤綾 津田健次郎 黒田崇矢
子安武人 永瀬アンナ 清水理沙 梶原岳人 安元洋貴 ほか

原作:「呪術廻戦」芥見下々(集英社 週刊少年ジャンプ 連載)
監督:御所園翔太
脚本:瀬古浩司
キャラクターデザイン:平松禎史 小磯沙矢香
副監督:愛敬亮太

制作:MAPPA

感想

※鑑賞当時にTwitterにて呟いたものです


あれほど色鮮やかだった世界があの日を境に一気に色を失って、けれど自ら道を選んでから再び色付いていく。部外者から見れば夏油の人生はただの極悪人で、彼をよく知る人たちから見れば悲劇の善人で、でもきっと彼自身は自分に忠実に生きていただけ。そんなギャップを強く感じたラストの玉折でした

すごく印象に残っているシーンが二つある。まず九十九さんとの問答で、彼女が「非術師を見下す君」で非常口を、「それを否定する君」で廊下を指差している。前者の方が非常灯があって窓が近い分明るく見えていて、やはり夏油にとってはその方が魅力的な選択肢だったんだろうなと
さらに「術師というマラソンゲーム」を象徴するのが後者の、先の見えない暗い廊下として。一方でOP映像が五条から見た世界を象徴しているとしたら、イントロで夏油が歩いている廊下(=マラソンゲーム)の先には青く美しい空が広がっていて、根本的に価値観が違ったんだなとあの一瞬で思い知らされて辛くなった
肆を見てからだと尚更思うけど、本当に見えているものが全然違うんだよね。覚醒した五条の一挙一動は本当に神か何かのようだもの。そんな彼も甚爾に対して「言い残すことはあるか」って問うくらいの人間らしさは持ち合わせているんだけど、そこはきっと夏油からは見えない部分だったんだろうな

もうひとつは夏油が村で呪霊を出すシーン。私初めて呪のアニメを見た時にとても印象に残ったのが呪霊の描き方で、水墨画のようなタッチで周囲から浮いて見えるのが面白いなぁと思ってたんですけど、村で罪を犯した時の夏油も同じような描かれ方になっていて、彼はもう人間には戻れないんだなと強く感じた

もちろん原作を知っていたわけだけれど、アニメになると夏油の心境の変化がとても分かりやすくなっていて、胸に刺さるものがあった。灰原の遺体と向き合うシーン 七海があれほどまでに感情をあらわにしているのに、夏油は心が凝り固まってしまったかのように静かなんですよ。理子ちゃんや黒井さんが亡くなった時は怒りをぶつけていたのに。なんかもう、あれを見せられてしまったら、そうだね辛かったね、今まで散々頑張ったんだからあとはもう自由に生きたらいいんじゃない、って背中を押してしまいたくなる

改めて感じたのは、たかだか16、7歳の子どもたちに何てもの背負わせてるんだよ…って憤り。そもそもの護衛任務だって、影響力を考えたらいくら強いとはいえ学生二人だけに任せていいものじゃないし、むしろ何かあったときの責任を押し付けるために立場の弱い学生にやらせたのでは?と邪推してしまう

そして夏油から見て世界があのように映っていたのだとしたら、そりゃ親友「だった」になるよなぁと思った。五条はある日突然親友のいない世界へと放り込まれたわけだけれど、夏油は自らの意志で親友と訣別する世界を選んだんだもんなぁ。

っていうのを、硝子はあの喫煙所での会話で感じ取ったんだろうなと思った。表情とか話し方とか、「もうコイツ引き止めるのは無理だ」と悟ってしまったかのようで。夏油の離反を受け入れられずにいた五条と対照的なのは、人間だからそういうこともあるって理解しているからのように感じた

夏油にとってポジティブとまでは言わずとも、それなりに希望のある選択だったんだろうなというのを強く感じた懐玉・玉折編でした